善意も続けると義務になる

例えば

善意で、毎朝職場のトイレ掃除をしていたとしよう



最初はみんな感謝する



だけど、それを続けると


そのうちそれが

「当たり前」になる





そして、ある朝

トイレ掃除をしないと



「何故トイレ掃除をしなかったのか」

と疑問に思われる




そう、

善意も続けると

次第に義務になってしまうのだ




得てして

人間関係も然り




ひとは

「もっと」を欲する生き物だ




テストで100点を取れば

最初こそ褒められるものの

次第に当たり前になり


80点取ってきた日には

何故100点じゃないのか問われるようになる




受け手が勝手に期待して

勝手にがっかりしたり

傷付いたりしているだけなのに




何故か、悪者になる





そんな人生を送ってきた。





期待されるのはまっぴらごめんだ


あたしはそんな出来た人間じゃない


100点の時もあれば

30点の時もある



常に最善を尽くしていると

それだけは胸を張って言えるが



それが必ずしも

周りの期待通りとはいかない





過去の恋人たちもそうだ


最初は一緒に居れるだけで幸せという


だけど、そのうち「もっと」欲しがる


もっと時間を割いて欲しい

もっと1番になりたい

もっともっと


あたしの「現在」と

あたしの「将来」まで

与えているのに


あたしの「過去」まで

欲しがるようになる



善意で期待に沿うように

努力し続け

それが当たり前になり

あたしが

あたしじゃなくなっていく


次第に疲れ

関係性に疑問を抱き


あたしらしく生きるようにすると



何故今まで「当たり前」に

くれていたものを

してくれなくなったのかと

不満に思われ

傷付かれ

そして終わる




その種を蒔いたのは

他でもない


善意とはいえ、与えたあたしの責任なのだ




仕事もそうだ



最初は善意で、本来必要じゃないことを与える

でも

本来やらなきゃいけないことに追われて

今まで善意で与えてきたことを怠ると

何故してくれないのか問われる



ふざけんなと言いたい



あくまで、守備範囲の外の事だ

そこまでとやかく言われる筋合いはない



そっちが勝手に期待してただけだ



あたしはあたしの成すべきことを

ただ完璧に成し遂げるだけであり

守備範囲外のことまで責任は持てない




今までは今までだ。

過去のことだ。



過去のことまでとやかく言われたくない。



過去と他人は変えられないが

将来と自分は変えられる。




疑問に思う前に

自分が求め過ぎてないか問うべきだ。



何故、

今あるもので満足しないのか。

そして、

「善意で余分に」与えられていることを感謝しないのか。




欲がないよね

よく言われる



自覚してるからだ。

他人に求め過ぎず、

そして今その人が与えてくれていることに感謝しているからだ。



もしその人が、

あくまで善意で

余分にあたしに何か与えてくれるのならば

例えばそれが時間だったりするわけだが

その事に関して、

決して当たり前と思うことなく

心底感謝したいと思うし、

実際そうしている。



相手が重荷とならないように

義務と思ってしまわないように





仕事だろうが

友達だろうが

恋人だろうが

家族だろうが


与えられるものは、

いつも全て与えている


でも、 

過去とポリシーだけはあたしのものだ。

親だろうと妹だろうと

それは譲れない。

踏み込ませたくもない。 

触れられたくもない。


善意で話すことはあっても

そっちから踏み込む権利などない。



いくらでも今と将来は与えよう

ある程度の価値観も譲ろう

だけど

あたしの根本的な生き方と

過去には触れてくれるな。


あたしの人生に

責任を負えない人間が

入って良い場所じゃない。




不満があるなら、

胸に手を当てて問え


それは勝手に期待したことじゃないのか?

勝手に求め過ぎていたことじゃないのか?




そういうの、もううんざりなんだ。

勘弁してくれ。





あたしはあたしで

自分の人生を、自分の足で立って生きてるだけなんだよ。