鳩のように純真に

鳩のように純真に

だが

蛇のように用心深く



過去の賢者の言葉に

そんな言葉がある。




完全室内純粋培養

そんなクリスチャンでした。




聖書の言葉以外は

家族さえも信頼してはならない


悪を心に入り込ませる隙さえ

作ってはならないから



そういう教え





洗脳だと思う






ハルマゲドンの日に

家族の死体の上を歩くことになるかもしれない

その覚悟があるか


そういう教えが真理だと。





宗教自体を憎む気持ちもない

聖書は良い本だとも思う

否定しているわけではない





だけど

完全室内純粋培養で育ち


そこから飛び出した外の世界は

まるで外国であり

違う時代であり


飛び出してから数年たつ

今現在ですら戸惑うこと多数





よく言われる



優しいけど、優しくないね





その通りだと思う






他人のために命さえ投げ打つ精神は持ち合わせているが

他人を自分の中に入らせる余地を作る術を知らないから



だって

家族さえも入らせたことがない

小さい頃からずっと。




友達も、恋人も

この人は何を求めているんだろうと

不思議に思うだろう


どこまで入っていいのかと

疑問に思うだろう



それは実は

あたし自身が一番自問自答していることだったりする。




とても大切なひとを

無意識のうちに傷付けているんだと

指摘されるのも頷ける



さみしい思いや、虚しい思いをさせているかもしれない


他人のように遠く感じさせたりすることもあるだろう




変えなければ。

と、強く思う。


でもどうやったら変えられるの






ある意味すごいと思うんだ


純粋培養することにより

その宗教の中でしか生きられないように作られたんだろう


社会に適応出来ないように

物心つく前から作りあげられた。




時に挫折し

宗教に戻るひともいる


親元に戻れるし、ラクになるから





あたしの場合は

父親が未信者なのが

本当に救いだった。


じゃなければ

実家とは完全に縁を切られていただろうし


育つ過程で

外の世界を本当に全く知らずにいたことだろう




父親は言う


娘が宗教やろうがやらなかろうが

犯罪おかそうが

同性愛者だろうが


俺の娘だ、どんな時でも

俺だけは味方だからな


と。




穏やかで頭がよく

ユーモアもあってスポーツマン

子煩悩で母親(奥さん)想いで

とにかく働き者


尊敬する。

こんな大人になりたいと

いつも思ってきた。



母親から受ける愛と

父親から受ける愛は

似て否なるものだと思う



今の時代では恵まれたことに

両親が仲良く揃った環境で育った

たくさんの愛を与えてくれた





傍からみれば

何の不自由もない家庭だろう




暴力もない

持ち家もある

裕福ではないが貧乏でもない






ただひとつ


選択の余地がない年齢で

既に宗教に

純粋培養されていたこと以外は。




生きづらいことが沢山ある




かのオ◯ム信者も

辞めてから洗脳を解くのがとにかく大変らしい



うちの宗教も

真の愛を説いているものの

某外国じゃカルト認定されてる宗教だ




虐待だと言うひともいる





そんなの意味わかんないと

信者だった時は思ってた。



でも離れた今なら理解出来る。




根本的な部分を

根こそぎ持っていかれた。


良くも悪くも。






死ぬまでこの苦しみは続くのかな。

同じ宗教で育ち

そしてそこから抜け出した親友と

よく溜息混じりに語り合う





うちらはいったいいつまで

縛られて生きていくんだろう